北九州・魚部のブログ

高校魚部時代の記事を中心に、2005年からつづく水辺の生き物関係のブログです

1447号【自由で無さそうな「自由研究」】

gyobu

2013.8.6



ヒメツヤドロムシ(紫川産)

小さな流れの砂泥底に多いらしい。

採集地も同様だった。




■メディアなどの情報をながめてると

夏休みだけに「自由研究」なるものの

話題がちらほら。


小学生(を持つ保護者?)にとっては

頭の痛いことなのかも、今も昔も。


さきほども、○ッデイというホームセンターさんが

夏休み親子工作教室なるものを宣伝してた。

こちらはふだんもそういうことをされてるようで

店内でやってるのを見たことある気がする。

近所のお店は職人さんたちも多く、

類似のホームセンターよりも玄人な(?)社風なのか

と思っていたので、

この企画は目の付けどころが面白いと思ってた。

自分たちの特徴・特技を生かすという意味で。



ただ、今は、

「子どものための自由研究になります」的なもの

が世間に多すぎるとも思う。


やってる方はそれで対象親子を集めようという魂胆だろう。

イベントや主催者の性質によっては(商業施設や教育関連とか)、

それを前面に出すのも大いに「アリ」かとも思う。



でも、それを重視するあまり

自分たちの伝えたいこと、感じてほしいことを

見失うことになってはいけないとも思う。


目的が、子どもの自由研究が出来上がること、

よりももっと大きなものである場合は。




なぜそんなことを言うのか。

それは自分がこれまでも、今も、

そういう、子ども「も」対象にした

地域の自然環境を感じてもらう企画を

10数年間してきた(いる)から。




よく大人は「未来を担う子どもたち」という

決して間違いではない言葉を口にする。


でも、この言葉は今を担っている大人たちの

現在のあり方も、同時に問われてると思う。


なので、自分が10数年間、あれこれ企画してきたことは

すべて「子ども」も「大人」も、対象。

※3代目ギョブ員のU君(10年くらい前!)がある観察会で

テレビのインタビューで

「大人の人も、子どもの人も、楽しんでほしい・・」と答えていた。




現在を作ってきたし、

現在も子どもが「大人になる近い未来」を作っているのは

われわれ大人以外にはない。


だから、子ども参加は大歓迎だけど、大人も狙っている。

保護者に是非、知ってほしい、感じてほしい、考えてほしい、のだ。

それを自分の子どもに、今後伝えていってほしいと思う。


1回きりのイベントに参加して、それで終わりじゃない。

「自由研究」という宿題ができて、それで終わりじゃない。




商業施設は、自由研究プッシュでまったく構わない。

それでお客さんに来ていただいて、

利益に結び付けないといけないだろう。


でも、環境系であれ何であれ、

「思い」を持って取り組む人びとが主催する企画は

その「思い」を少しでも持ち帰ってもらうものであるべきだ

とずっと考えている。






  そんなん理想主義的やん、と思いますか?





でも、やる側の「心のどこか」が理想に燃えてないなら、

やる意味が無いと思うのです。

だから、理想主義という評価、全然OKだと思う。


干潟体験企画2009

紫川体験イベント2009、

街中の自然を感じよう(2011)、

汽水域の生物多様性を感じよう(2011)、

ヒメドロムシ観察会(2011)、

真冬の紫川の自然~両生類観察会(2012)、

シロウオで紫川の春を体感しよう(2012)、

ナイトツアー「ライトトラップ体験」(2013)



ごく近年だけでも、いろいろやってきたが

「思い」のないものは一つもない。





自由研究とは、本来は自由に研究するもの。

何でも良いんでしょう、きっと。

興味や関心を持つものを、少し突き詰めて考えさせたいのでしょう。

こういう機会に。


宿題完成イベントも否定はぜんぜんしないけど

こういうイベントを通じて、興味関心を喚起して

そこから宿題仕上げをするもよし、

身近な自然環境のことに少しでも考えてもらえれば大成功、

もし本当の自由研究が始まるなら、してやったりだと思う。




子どもを大事に考え、大切にするのは当然だ。

でも、そのあまりに何でもかんでも大人がしてやったり、

あるいは自己の目的が、その大義名分に(無意識的にであれ)刷り込まれていたり、

ということが見受けられるのはないか?








そんなことを思う、夏風邪がぶり返したこの頃。